COMPANY企業情報
「描いた夢を追い求め、未来の”光”を掴む。」
オフィス・トゥー・ワンの原点は“才能”のマネージメントにあります。
私たちは21世紀に夢を抱いて、才能の開花・育成を行い、
これまで様々なメディアを通じて夢を実現してまいりました。
飛躍的に技術の進歩を遂げる今、
人の夢や才能もまた無限に広がり続けています。
私たちは、これからも新たな才能を引き出し育てる中で、
限界を決めることなく、日々夢を追い、実現に向けた努力を行ってまいります。
人の才能と夢がある限り、私たちは創造を求め、未来に向かって挑戦し続けます。
会社概要
会社名 |
株式会社オフィス・トゥー・ワン |
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設立 |
1963年6月5日 |
所在地 |
〒106-0032 東京都港区六本木3-16-33 青葉六本木ビルディング8F [ MAP ] |
電話 |
03(3586)2661 (代表) |
従業員数 |
50名(専属契約者含) |
主要取引銀行 |
みずほ銀行 |
事業内容 |
【マネージメント事業】 【映像メディア企画・制作事業】
【著作権管理事業】
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アクセス
- 東京メトロ南北線「六本木一丁目」駅より徒歩8分
- 都営大江戸線「六本木」駅より徒歩8分
株式会社オフィス・トゥー・ワンってどのような会社
株式会社オフィス・トゥー・ワンって
どのような会社
-
オフィス・トゥー・ワンの柱
オフィス・トゥー・ワンの大きな柱は作家、タレント、文化人、キャスター、スポーツ選手、シナリオライター、テレビ・ラジオ・ネット番組などのメディア作家、作詞家、作曲家・アーティスト、演出家等多岐にわたるクリエイター達のマネージメントにある。
所属タレント・作家を抜粋すると、久米宏、荒川強啓、神太郎、イーデス・ハンソン、音楽作家は、阿久悠(没年:2007年8月1日)、奥田弦、演出家には、福田陽一郎(没年:2010年4月11日)など他多数所属する。 -
21世紀を目指して
代表の海老名俊則は1963年6月5日、放送作家の城悠輔を中心にリサーチャー、プランナー志望の人を集めてクリエイターオフィスを結成し若手作家の育成を開始。作家集団“城悠輔とブラックバックス”を結成、グループで番組に参加するという当時としては画期的な手法を確立し地位を築いた。のちに太田イサム、宮下康仁、河村シゲルなど現在も名を残すクリエイターを輩出した。
1966年からイーデス・ハンソンや神太郎の参加により、タレントのマネージメントもスタート。1967年には阿久悠が村井邦彦とタッグを組み『朝まで待てない』(ザ・モップス)で本格的に作詞家デビューを果たす。その後、阿久悠を中心に、若手作曲家の三木たかし、井上忠夫、中村泰士、都倉俊一などが集合し、音楽部門が開始されることとなる。1971年、阿久悠作詞の『また逢う日まで』がレコード大賞と日本歌謡大賞を受賞し、世間に作詞家阿久悠という名が確立することになる。
その後、阿久悠は『スター誕生』(日本テレビ)の企画・立案並びに作家参加を行い、審査員としても番組をスタートさせる。番組は12年間に渡って放送され、多くのスターを輩出する大ヒット番組となった。
1972年、本格的にテレビ番組の制作に力を入れ、テレビ企画・リサーチ集団中心に制作へ参加し、TBSと『ぎんざNOW』一曜日の制作を開始した。
創立10周年にあたる1973年、TBSと共同で『3時にあいましょう』の制作を開始し、読売テレビとは、視聴者参加型の番組『びっくり日本新記録』の制作を開始。その他にも『なるほど!ザ・ワールド』『独占!スター生情報』『おしゃれ』など多くの番組を手掛ける。
一方、テレビ番組だけでなく、1974年にパルコ劇場で福田陽一郎のオリジナルコメディ作品『ショー・ガール』が上演され、木の実ナナ、細川俊之の二人が出演し1988年まで多くの観客を魅了した。これを機にステージ分野にも活動領域を広げ、『ショー・ガール2』の上演を果たす。このステージは同年の芸術祭奨励賞を受賞し、この年以降『ショー・ガール』は毎年上演され大ヒットとなる。
1975年には沖縄国際海洋博覧会(EXPO'75)において、オープニング、日本政府館イベントのプランニング及び制作に参画。その他、様々なイベント開発、環境演出、ステージ、企業主催のイベント、博覧会、VTR、CM、展示場、書籍などの企画、制作、空間創造まで幅広く手掛けていくことに。
のちに、長崎オランダ村の年間イベント企画・制作を開始、これをきっかけにハウステンボスの開発にも協力し、15年間に渡って企画・制作を行う。
テレビ制作でも、テレビ朝日と組み、ビートたけしと関口宏が司会を務めた『どーする!?TVタックル』の制作を開始。1991年4月からはビートたけしの冠番組となり、様々な時事問題をテーマとして各界の著名人などのパネリストによる論争を繰り広げ、トークバラエティという新しいタイプの番組を確立する。(現在も放送中)
代表の海老名は、オフィス・トゥー・ワンを“この道一筋”というのではなく、「トータル・ソフト・クリエーター」的発想で「何でもこなせる会社にしていきたい」という考えをより具体化していく。そして1978年に情報収集機関として「オフィス・トゥー・ワンインターナショナル」をニューヨークに設立することを決断する。 -
『ニュースステーション』を支える久米宏
1979年、久米宏がTBSを退社して独立し、当社の専属マネージメント契約がスタートする。すでに多くのテレビ番組制作を手掛ける中、『ニュースステーション』を企画した発想は、メディア先進国アメリカの情報や実情を、いろいろなフィルターを通さずストレートに日本に伝えよう、と「オフィス・トゥー・ワン・インターナショナル」を設立した時からその構想は練られていたのである。
当時、アメリカNBCに卓越した編成者シルバーマンがいた。彼が発言した、若者は“15秒”しか集中しないという言葉に海老名は注目。今まで長い尺数の報道番組は、作り手の満足感と視聴者のニーズが離れているかもしれないという疑問が湧き、ひとつのVTRは3分以内にすることに徹底しようと試みた。それが、テレビを視る側の“時代の生理”にフィットすることとなる。
さらに当時、久米宏は、いくつものバラエティ番組をすべてヒットさせていた。しかし久米宏をバラエティ番組の司会者として、そのまま続けさせていいかどうか、社内で慎重に検討され、その結果、これまでの路線を少しずつ変更していく方針が決められた。
久米宏のイメージの場づくりとして、まず第一段階で、バラエティから情報系に対応できる出演者に転換させ、しかも、情報がうまく重なり合うような番組制作が検討される。そして情報の放送の長さは長くても各3分。このコンセプトで作った番組が『TVスクランブル』(日本テレビ)だった。日本テレビと共同で企画制作を開始し、娯楽と情報をミックスさせた番組として話題となった。しかし、ヒット番組はテイクオフする時より着陸(終結)の方が難しいという判断から『TVスクランブル』が全盛の時に終了するという決断を行った。その勢いを次の番組に持ち込んでいくという極めて大きな戦術である。
ニュース、報道がビジネスになる日がくるという予感と分析があり、久米宏の成長とその判断にうまく対応する策が練られた。電通と「オフィス・トゥー・ワン」との検討の結果、今までの“聖域”とされていた報道領域の中へ、局外の制作会社を導入し、局と制作会社がパートナーシップを発揮してやっていくという、日本のテレビ史にはなかったこの大方針が決定された。大英断だった。
今までやってきたニュース、報道番組をビジネスとしても成立させるための方針が練られ、久米宏はその準備のために1年半かけた。こうして生まれたのが『ニュースステーション』だった。 -
創立30周年を迎え、心も新たに結束を固めた。
1993年より当社の営業種目に「通販」が加わり、TVメディアを核とした通信販売ビジネスに参入した。これまで同社はテレビ番組を始めとするメディアにおいて、多種多様な情報を伝え表現してきたが、これまで培ってきた総合的なソフト展開力を活かし、メディアの新しい可能性を探ろうと、流通分野にも本格的に乗り出した。
このビジネスでは、1991年に同社が独自に開発したテレマーケティングシステムO-MASを利用し、24時間体制で受注から納品、出荷、課金、アフターケアサービスまでの“フルフィルメントサービス”を行うという当時としては画期的なシステムを導入した。
1997年からは『快楽通信』(テレビ朝日、1時間)を拡大して、週日番組『深夜水族館。ミッドナイト・マーメイド』とし、国内を中心に、海外のオリジナルキャラクターまで商品の仕入れから配送まですべてを扱っていた。 -
21世紀をむかえ
2003年には創立40周年を迎え、その記念事業としてル・テアトル銀座で山本一力原作『大川わたり』のステージ化が決定し上演。
テレビ制作では、『所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ』(テレビ東京)の制作を開始。この番組では視聴者から寄せられた素朴な疑問を始めとして「学校では教えてくれないような知識や教養」などの雑学を紹介する教養バラエティ番組で、現在も放送中である。また、在京キー局系列のBS衛星放送が共同で制作した特別番組、『ニッポン100年物語』に久米宏が司会者として出演。日本が歩んできた20世紀から21世紀をまたぐ100年の動きを各チャンネルごとに毎日1つずつ取り上げ、専門家や有職者と共に日本の過去未来について考える番組として話題となった。2014年には、司会の久米宏(店主)と壇蜜(店員)が、ゲストの推薦する話題の本、あるいはゲストが著した本などについて作風や感想を述べるトークドキュメンタリー番組『久米書店』(BS日テレ)の制作を開始する。
マネージメントでは、新しい試みとして講演会事業をスタートさせ、文化人のマネージメントを開始。現在は長谷川幸洋、古谷経衡、梶本修身など著名文化人が名を連ねる。
また小学6年生のジャズピアニスト奥田弦が参加し、2014年9月には当時の史上最年少作曲家としてJASRACメンバーとなった。天王洲銀河劇場で行われた舞台において「show・ル・リアン」のテーマ曲を書き下ろし、またピアニストとしても出演。NHKEテレ「ムジカ・ピッコリーノ」アポロン5号シリーズにピアノ担当レオ役として出演し人気を博す。
2017年、日本テレビ系24時間テレビスペシャルドラマ『時代を作った男 阿久悠物語』が放送された。同年には阿久悠の『没後10年・作詞活動50年・生誕80年』のメモリアルイヤーを記念して、レコード会社7社共同企画アルバムが発売され、当社が企画した『阿久悠リスペクトコンサート』が開催される。また、阿久悠作詞のピンクレディー『UFO』がCMで多用されたこともあり、MPAスタンダートソング賞受賞、JASRAC賞を2年連続受賞する。2019年には、久米宏がテレビ・ラジオを飛び越え、新たなメディアであるインターネット動画に進出し『Kume*Net』の配信が開始されるなど、オフィス・トゥー・ワンは今も進化を続けている。
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